「頑張る!」というときって、どんなときに使いますか?
普段の取り組み以上の力を発揮するときに「頑張る」のか、普段の取り組みをしっかりと発揮するために本番を「頑張る」のか、など頑張るにも様々な「頑張る」があります。
また、「自分は頑張っている!」と言っている人ほど結果が出ないような取り組みをしている、または頑張っていないことが多く、「自分はまだまだ頑張らなければならない」という人ほど、他の人以上に時間をかけて取り組んでいることが多いです。
がんばると言っても人それぞれと言っていいですし、自分自身が見る「頑張る」と、他の人が見る「頑張る」も全然違います。
どこまで「頑張った」かの基準を設けないと、胸を張って「頑張った」とは言えませんし、「頑張った」と認めてもらえません。
どこまでクリアできたかの基準を設けることで初めて「頑張った」と認めることは必要です。
例えば、お子さんがもらってくるテスト結果が90点以上で「頑張った」として褒めてあげたり、会社内で設けた基準の数値を100%以上超えることで「頑張った」として表彰してあげるかなどですね。
また、その基準値に到達しなかったとしても普段の取り組みに全力で時間を注いでくれていたと出勤カードの日数を見て「頑張った」とほめてあげるかなど、結果だけでなく過程も褒めてあげるなどで「頑張った」を評価することもあります。
頑張り方はそれぞれですし評価のされ方もそれぞれですが、基準値を設けることで自分が頑張れたかどうかを確認することができるようになりますし、人から評価される際にもその基準値に到達したからこそ「頑張ったね」と言ってあげることができるようになります。
基準値を設けない「頑張る」ことに対しての評価は自己満足として終わることが多いのではと思います。
たった5分勉強しただけでも、普段勉強していない人にとっては「頑張った」ことになりますし、毎日5㎞走っている人が10㎞走ることも「頑張った」ことになります。
他の人も納得する形で基準値を設けないことには誰もが「頑張る」ことにつながるわけで、それではあまり意味がないなとさえ思うのです。
逆に、普段から歴史好きな人が歴史の教科書をただ読んでいるだけでも、他の人から見たら「頑張っている」につながっていても、自分自身は好きな本を読んでいるにすぎませんから「頑張った」ことにつながらない場合もあります。
好きなことを取り組むことが他の人からしたら「頑張っている」ことにつながっても、自分自身としては腑に落ちないなと思うことさえ「頑張る」評価になることもあるのです。
となると、やはり「頑張る」ことは自己満足に過ぎないものなのかもしれません。
このように見ていくと、頑張ろうが頑張らないでいようが、最終的には結果につながれば「頑張った」ことになるのではないかという結論になるのです。
昨日の記事のように頑張った分だけ自信には繋がりますが、その自信を持つことができなければ結果として意味がなかったことになるわけで、結果が出ないと最終的にはダメなんだろうなと思います。
そのように考えていくと、いかに勉強にしても仕事にしても「好き」と思えることが大前提であって、好きと思えるものほど適度な取り組みであっても評価されやすいものになっていく、ということになります。
「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、強制的にやらなければならないと思って無理やり頑張った1時間と、好きだと思って積極的に自ら頑張って取り組んだ10分であれば、おそらく後者が結果を残すと思います。
好き・面白い、と思って取り組みながら、いつも以上に頑張れたとなった時に初めて大きな力となっていくでしょうし、頑張り方も間違えれば意味がないということではないかと思います。
上司や先輩はいかに仕事やスポーツ、勉強が楽しいかということをまず教えていくことが大事だということですね。