今の自分はこれまでの経験を経てきた自分ではありますが、それを相手にどのような人物であるのかを知らしめるのはまさに学歴とお金です。
戦国時代など昔は力でそれを証明していたのかもしれませんが、現代ではこの2つが主流となっているのではないかと思います。
あとは肩書とか社歴とかでしょうか。
「〇〇に勤めています」というだけで「おお、すごいね」と言われるんじゃないかと思います。
そうした自分の背景を言わないまま自分のことを「すごいね」と言わせるものを自分自身が持っているかどうかということを今回は取り上げていきたいと思います。
お金や学歴がない自分が社会で認められるかどうかという点ですがどうでしょうか。
仮に「東大出身」という看板を持っていたらあらゆる企業にエントリーできそうな気持ちになれますが、一方で企業も学歴だけで自分という存在を認めてくれるかなんです。
また、お金があれば人がついてくるかもしれませんが、お金を持っていない状態でも同じように人がついてくるかどうかを考えた時に果たして人がついてくるかを考えてみたことはあるでしょうか。
素寒貧となった自分に人が自分に対して魅力を感じるときってあるかどうか。
人が人に魅力を感じるときって何があるでしょうか。
おそらくその人の話し方や考え方、行動力ではないかと思います。
一代でお金を稼ぐことができた人は、仮にその会社がつぶれたとしても一からお金を稼げる人なんですね。
つまりは学歴とかではなくて経験値としてどのようにしたら稼げるかを知っている人だからこそそのやり方をマスターしているわけです。
同様にお金も学歴もなくて魅力を感じられる人は、その話し方や考え方、行動力に魅力を感じられるように魅せる術を知っている人です。
お金や学歴に頼らずとも、自分の経験で人を惹きつけられる術を知っているわけです。
そういう人はは自分という存在を知り尽くしている可能性が高いです。
学歴やお金を持っているからと言って、それが自分の武器になることはほとんどありません。
むしろ、それがあるから自分は強いんだとか思っている人は、何かしら後ろ盾がないと生きていくことが難しい可能性が高くなります。
人が見ているのは自分ではなく、自分の後ろにある学歴やお金、企業と言った後ろ盾が見えているために話を聞いてくれたりしているのかもしれないのです。
逆にそうした目線でしか見られない相手とは付き合わないでいいわけですけど、自分自身も人としての魅力を持った人と接しているのか、その後ろ盾を気にして接しているのかで人付き合いが変わってきます。
まずは自分自身の魅力を見つけないと相手の魅力も分かりませんので、自分探しをするべきだと思います。
マンガの世界でもお金や後ろ盾に頼って生きている人いますよね。