例えば他人が成功していて自分は失敗していたとします。
そこで自分が感じることは自分の今取り組んでいることに対して正しいのか間違っているのかの分析をするわけですけど、もし間違っていると気づいたときにはおそらくですけどやり方を変えようとするはずです。
これに関しては7割以上の方が原因分析した後に改善・修正を行うとは思うんですけど、これは単に生き方という問題ではなくて取り組み方の問題なんですね。
生き方というのは人を信じる信じないとか、妥協する妥協しないという三つ子の魂百までの幼いころから経験してきた土台を元に、自分がどのように生きるかを経験によって培われた考え方で生きるという道です。
これに関しては相当なことがない限り変えようとはしないはずです。
生き方を変えようとするときってよっぽどのことがない限りはないと思います。
そのよっぽどのことがない限りは身を亡ぼすまでは決して止めようとせずに突き進んでいくことが大半です。
歴史の例でみれば国土を焼け野原にするまで戦争を続けた戦前日本政府と軍令部や、テロを起こして教祖がつかまり解体される羽目となったオウム真理教などです。
自分たちの取り組んでいることがどれだけのリスクを背負っていることなのかをある程度理解しているにもかかわらず、仕方がないという考えのもとに滅びの道を歩んでいたわけです。
本気で変えよう、止めようと思えば止められたかもしれないのですが、ここでバランの「大人とは生き方を変えられない」の言葉が重くのしかかってくるのです。
あらゆるリスクがのしかかろうにも、周りの環境やそれまでの犠牲が無駄になるという思いが破滅の道を選択してしまうんですね。
先ほどの例は国家や宗教集団ではありますが、一個人に対しても当てはまることはたくさんあって、ギャンブルや株投資などで費やしたお金を何とか取り戻そうとするあまり、これから先にお金がもっと減ろうにも今更後戻りできないと思ってさらに投資してしまうとかってありますよね。
企業においても今更お金を投資したプランに対して引き下がれないなどよくあることです。
ここまでを見て思うことは、国家にしても企業にしても個人にしても、過去の経験における犠牲に対して巻き返し図ろうとすると滅亡に突き進んでしまうということです。
太平洋戦争に踏み切ったのは、日中戦争で犠牲になった10万人の御霊に対して無駄にしないようにするための感情論が大きかったからというのが一番大きな要素だったと言われています。
おそらくですけどオウム真理教も犯罪に対するリスクや犠牲に対して後戻りできない状態を作っていたために、地下鉄テロが実施されたんですよね。
企業においても投資した金額に対して取り戻そうとするために躍起になってしまい、さらに多大な人材とお金を犠牲にして倒産に追い込まれるというケースも稀なことではありません。
過去を振り切って先を見ることが大事であり、犠牲にしてしまったことを勉強だと思って切り捨てられれば破滅への道を踏まない、生き方を変えられるチャンスを作れるかもしれません。
歴史は破滅の道を止めるチャンスを教えてくれる教科書です。