自分の行動は過去の経験によって形成されます。
例えば過去に叱られてきたこと、傷ついたことを経験してそれを再び経験しないようにするために行動することをトラウマだと思っていますが、言葉の使い方あっていますかね?
いじめられてきた経験やスポーツでの失敗、仕事の失敗から恋愛の失敗まで、トラウマとなる場面は多々あるかと思いますし、トラウマは人には一つ二つあるのではないかと思います。
今回はトラウマについて書いていきたいと思います。
トラウマがあると行動が制限されますよね。
例えば失恋した後って自分の何が悪かったなどを振り返って考えていき、これがダメだったんだと一つの要因に結論付けるとその行動を控えようとするわけです。
次回の恋愛では決して同じ失敗をしないようにするために行動していくのですけど、自分ん行動を制限することで実は自分の本性を隠してしまうことにつながってしまいます。
ですから、本音でこの人は話しているのだろうかという気持ちを持ってしまいます。
トラウマが多いと、自分の素直な気持ちを吐き出す場面が減ってしまいます。
トラウマが多い=自分を隠す頻度が多い、の構図が生まれていきます。
ですからトラウマはできるかぎり克服していくことが望ましいわけですけど、なかなかそれができるかといえば難しいわけです。
過去の経験に対して不利益しか生まないのであればやめておくべきですけどね。
例えば殴ったことで怒られてやめておこうは大いにありだと思いますが、自分自身の行動に対して本当に間違っていたかどうかを確認したうえででないと、単に叱られたから止めておこうでは良くないとは思います。
トラウマって本当に厄介なんですよね。
自分で気づいているトラウマであれば克服しようと思えるんですけど、心の奥底に眠っている思い出そうとしても思い出せないくらいのトラウマは克服しようにも克服できません。
それでいて自分の行動を制限されるわけなんですよ。
私の場合は電話をかけることに抵抗感があるんです。
なぜ何だろうなと思い返せば、ずいぶん過去になりますけど友人の家に電話をかけた時に友人と思って話をしていた相手が友人のお父さんだったことで驚いたと同時に顔の見えない相手と声を交わす恐怖感を感じたわけなんです。
おそらくこれだろうなって思っていて、自分の中では何とも思っていない出来事でも、脳がしっかりと記憶していて抵抗感を感じさせるようにインプットしてるような気がしています。
仕事の関係から連絡をせざるを得ない場面がたくさんありますけど、結構抵抗感は残るのであらゆる仕事をしている中でも電話をしているときの集中力とかを100%使うので一番疲れます。
ですが、できるかぎり電話をして自分に行動の制限をかけないようにして克服しようとはしています。
そうしないとトラウマは解消できませんからね。
トラウマ克服は自分の成長の第一歩かもしれません。