昔々の人は皆同じ服装をしていたんですよね。
縄文時代であれば毛皮のみの服装のようなもので、毛皮好きの人にとってはたまらない時代だったかもしれませんけど、とても寒さを防げるような恰好ではないなって思います。
今の人間よりも耐寒が強かったかもしれませんけど。
それから時代が進むにつれて弱肉強食時代となると力のある人がそれなりの良い生地や身分が高いですよとアピールする色の服装をしていくようになるのです。
ようするにその時代から人間の価値観が全然変わっていないなって思うわけです。
自分はこういう人間なんだとアピールする力の一つとして服装を利用しているんですけど、逆に言えば服装に踊らされていると私からは感じてしまうのです。
自分をアピールするには本来はどれだけコミュニケーションを取るかなんですよ。
たくさんコミュニケーションを交わしたときに、服装ではなくその人そのものを見ることができるんですけど、人はそういうことよりも見た目から入ってその人を見てしまうわけです。
高価なブランド品を身に付けることで、自分はこういう人間なんだよとアピールする手段として用いていて、下手に自分を傷つけるようなことがあれば痛い目に遭うよと鎧のような役目も果たしているのです。
ブランド品は希少価値が高いという理由であれば高価であってもよいですし、それなりの耐久性を備えたものなど自分が納得したうえでの購入であればいいと思います。
それが分からずに、ただただみんなが憧れているから自分も手にしようとしているのであればかなり滑稽な話です。
これはモノだけでなく学校や企業にも言えることで、名門と言われる学校に通う理由が明確であれば子どもも頑張って取り組むでしょうけど、その学校に通うのがただただみんなからすごいと言われるだけのものであれば入ってからしんどい思いをするなと思います。
企業にしてもそうで、自分がしたい仕事が明確であれば入ってからも継続して仕事をしていくことができますが、そうでなければ自分の人生の大半を棒に振ることになります。
自分にその価値を見出せるかどうかでブランド品も活かされると思うのですが、そうやって使いこなせている人がどれだけいるかです。
ブランド品と言う鎧を着ていてもただただ自分にとって重たいだけの存在となるのです。
ブランド品なんてなくても自分一人でその存在をアピールできている人もいます。
幸せの価値観は人によって様々で、お金がなくとも十分に幸せに生きている人もいますし、ブランド品を着こなさない金持ちも存在します。
逆にブランドにこだわりすぎて、周りに迷惑をかけている人もいます。
まずは自分の幸せであったり目標というものをしっかり見据えて、それに応じたブランドを身に付けることが大事で、闇雲にブランドを追いかけても良いことがある可能性は極めて低いと思います。
ブランドよりも人間関係であったり家族であったりと大切なものを大切にできているかでブランドの価値も上がるのではないかと思います。
ブランドが自分を苦しめる存在にならないように。