アメとムチの政策と言えばやはり鉄血宰相ビスマルクを思い出すわけですが、彼は労働者の社会運動を徹底的に抑えつけた一方で、労働者の保護政策や社会保障政策をきっちり行ったことで有名で、アメとムチをうまく使いこなした例として出てくる人物です。
今回何が言いたいかというと、人は厳しいルールの中にいたとしてもとびぬけて頑張ろうとするには大きなご褒美が待っているかどうかで決まるということです。
現在のコロナ禍で外出してはいけない、8時以降は飲食店に行けないなどの厳しい制限がかかっている状態でムチの政策がとられているわけですけど、補助金や給付金などのアメの政策が少ないことから政府への批判が高まっているということになります。
もちろん行われていないわけではありませんが、給付金は1回のみで終わりましたし補助金も飲食業など不平等に不公平な策がとられているために評価がされていないと思われていることになります。
また、政府もきっちりやっているのかもしれませんがそのように思わせられていないやり方が下手すぎます。
人間アメのほうが大きいと感じないとダメなんですよ。
アメとムチの政策。
これは国の政策以外に家庭内のしつけでも同じことが言えます。
子どもに対して勉強させたり早く寝させたりする際に、「早くしなさい」と言っているだけでは動きません。
子どものほうがこういった場合に大変素直で、褒めたりご褒美を用意しておくことで早く動いてくれようとします。
打算的で嫌だと思うかもしれませんが、最初はこれで慣れてもらうのが一番で、何もないままただ言うことを聞くようでは私はダメだと思っています。
なぜ褒めるやご褒美がない状態で、ただただ言うことを聞かせるようにしてはダメなのか?
それは社会に出てからただただしんどい思いをさせられて安月給で働かされないようにするためです。
その感覚に慣れてしまうと社会人になっても言いたいことを言えずに、ただただしんどい思いをしながら仕事を続けてしまう可能性も高くなります。
頑張れが給料が高くなる、頑張ったら褒めてもらえるという環境で頑張れるようにしたほうがいいわけですよ。
会社都合、国都合だけで人が動かないように持っていくこと。
特に上下関係で下にいるものほど損をする、我慢を強いられるような環境は決して良くありません。
なぜ人が動かないのか、評価をしないのかというところに「アメ」がないことを気づかせる必要があります。
歴史的に見ても、人に欲望がある限りは欲で人は動こうとします。
自分の信念だけで動こうとすることはまずありませんし、そのように動ける人は自分に余裕がある人だけです。
道徳や武士道といった精神的に強い人も、自分が飢える寸前になればまずはご飯を食べようとする行動に出ます。
自分の欲が満たされた人だけが精神的余裕を持つことができるのであって、人はきれいごとでは動かないということをどれだけトップにいる人が気づいているかで国や会社、家庭でもうまくいくことができます。
ムチばかり行っていては人は動かないということを改めて気づく必要があると思います。
大きなアメであればあるほど人は動きます。