自分の考え方や性格というものはいつ形成されるかというと、生まれて間もないころではないかと思いますし、三つ子の魂百までと言われるくらいに、幼いころには既に完了しているわけです。
ですから幼児期の教育がものすごく大事になってくるわけですけど、3歳4歳に至るまでの間にすでに性格は見え隠れしているなという部分も垣間見えているわけで、もしかしたら生まれたその時に性格などは決まっているのかもしれません。
それでも4歳前後の取り組みによっては恐れを抱いたり、大人しくなる機会が出てくるわけですけど、今生きている自分の性格は自分自身で形成したのか、親の影響を受けてそうなったのかがかなり微妙です。
自分自身の性格や考え方を振り返ってみた時に、親のしつけ方やしかり方によってここが大きく変わってくることも事実です。
親のDVに耐えてきた人であれば親の目を気にするように他の人の目も気になるような性格になりますし、自由にさせてもらっていた家庭であれば今の人生も自由度が高くなってしまい、組織になじめないといった人生になっているかもしれません。
昨日の記事では自分がどのように映っているかを客観的に見て、自分がどのようにしていけばカッコいい人生を送ることができるかと考えてみましたが、考え方や性格を変えるところまでに至らないといけない要素もあります。
自分の考え方や性格、価値観を変えるというのはよっぽどのことがない限り難しいとは思います。
三つ子の魂百までとはよく作られた言葉だなと思うのですが、そんな簡単に自分の性格を変えることはできません。
私の性格は基本おだやかではありますが、目上の人が馬鹿にされるような言葉遣いをされたときに怒りの沸騰点がマックスになってしまい、見境がつかないくらいにその相手を怒鳴りつけてしまいます。
私自身がされることもそうですが、他の誰かが目上の人であるにもかかわらず馬鹿にするような言葉を発しても怒りの沸騰点がマックスになってしまいますね。
人それぞれに考え方の違いや性格の違いがあって、すぐにそうした点を直そうと思っても難しいのではないかと思います。
価値観を変えればいい、考え方を変えればいい、と簡単に口にすることはできますが実際に変えることは東大に受験して合格をするよりも難しいのではないかと思います。
自分の価値観や性格を変えるには何かしら大きなきっかけがないことには変わらないもので、例えば大地震なども一つの例です。
私自身も阪神淡路大震災を京都で被災したときに、それまで真面目に生きていればきっと良いことがあると昔話のような真面目な生き方にあこがれていたのですが、真面目に生きている人でさえ天災は簡単に人の命を奪うんだということを知って価値観が変わってしまいました。
周りの人たちの言うことをきちんと聞いて真面目に生きるという価値観から、自分の信念に従って生きるという価値観に変わったのです。
大地震という大きなきっかけで、私は自分自身が若くして死んでしまっても極力後悔しない人生を送りたいと考えるようになりました。
それくらいの大きなきっかけがない限り、自分の性格を見つめなおしたり考え直そうとする機会は極めて少ないということです。
ただ、大きなきっかけが起こった後では後悔してしまう可能性も高くなってしまいます。
大地震にしてもたまたま私自身は京都で被災したことが幸運だっただけで、神戸にお住まいの方はさらに生きるか死ぬかの瀬戸際でしたし、もちろん亡くなってしまった方も大勢いたわけです。
昨日は東日本大震災が起こった日で、10年が経ちましたが更に大きなきっかけとして自分の考え方や価値観を変えた方々も大勢いたかもしれませんが、起こってしまった後では後悔することのほうが多いのです。
それほど大きなきっかけではなかったとしても、夫婦げんかであったりちょっとした事故で後悔することもあります。
できる限りそうした大きなきっかけが起こる前に、自分の身に起こりうるだろうことを頭の中でシミュレーションとして想定して、自分の考え方や価値観のせいで後悔しない人生を送れることが望ましいです。
そのためにも人とたくさんコミュニケーションを取っていくことも大事ではないかと思います。
後悔しない人生を送れるかどうかって本当に大事です。