歳を重ねるごとに自分の過ちを誤れない大人がいるもんだと感じています。
その最たるものが池袋の交通事故だとは思っていますけど、歳を重ねたらそうなるのか、元々謝ることをしなかった人がそうなってしまうのか、私は結構そういう人を見ると軽蔑の視線を持ってしまいます。
プラスアルファで「こういう人にはなりたくない」と思うわけです。
歳を重ねて偉そうにならないように、自分が悪かったと思った時には素直に「ごめんなさい」が言えるようになろうと心がけています。
自分の非を認めない姿は本当にみっともなく映ります。
「ごめんなさい」を言うことって歳を重ねるごとに難しいのかもしれませんが、言えない大人を見れば見る程、本当にみすぼらしいというかみっともないというか、そのように映っていることが分かっていないんだと思います。
謝り方が下手な人は普段から偉そうにして、謝るということを避けて人なのかなとさえ感じます。
堀江貴文さんとひろゆきさんが餃子店の一件で関係が悪化したとの記事があり、それを聞いたひろゆきさんが自分自身が一言多いのだということで謝っていましたが、その姿が逆に好感を得ていました。
自分のしたことに対して振り返りをして、反省をして謝る、この流れを子どもに教育している大人ができないことがなんとも情けないことです。
芸能人がいつまでもカッコよかったり美しいままでいる理由の一つに、人から見られている意識を持っているからだそうです。
たしかにモテたいと思っていた頃なんて自分の立ち振る舞いに対してカッコいいと思われたいと思って今以上に身体を鍛えたり、身なりもきれいにかっこよくしようと心掛けたものです。
歳を重ねるとそうした意識が薄れていくためか、もしくは人からどのように見られてもいいと思うからか、独りよがりの生き方になりがちなんですよ。
だからこそかもしれませんが、話を素直に聞けない、自分の意見ばかりを主張する年老いた人が結構いるのかもしれません。
自分の立ち振る舞いがどのように映っているかを客観的に見ることができていない証拠だろうなと思って見てしまいます。
人から好かれようとするとかえってしんどい思いをすると思いますが、自分はカッコイイ人間なんだと自負して生きていくことは大事だと思っています。
「老害」という言葉が最近使われますが、歳を重ねてもカッコイイ高齢者も当然ながらいらっしゃいます。
男女問わず。
そういう方になりたいなと思っていますが、残念ながら政治家を筆頭に素直に謝れない年配者は多いなと感じることにガッカリ感が否めません。
人を見下すような感じで対応してくる人ほどそうした行動ができるはずもなく、見ていて嫌悪感しか感じません。
歳を重ねても嫌悪感を感じさせない生き方をしていきたいと常々思いながら生きていきたいと思います。
カッコイイ人生を送りたいものです。