人間五十年
下天のうちをくらぶれば
夢幻のごとくなり
織田信長が好んでいた敦盛です。
人間の命は50年と言われていた時代、信長も49年という敦盛の通りの人生となったわけで、500年前の世界に生きていたら私の寿命もあとわずかと言ったところです。
大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀の年齢は不明ですが、本能寺の変で亡くなったときには67歳だったのでは説が有力とのことで、豊臣秀吉が62歳、徳川家康が75歳まで生きていたとすると、当時としては長生きの部類にはいるのではないかなと思いますね。
人生の長さを考えれば、どの瞬間で輝くべきなのかを考えさせられます。
松永久秀役の吉田鋼太郎の切腹シーンがあったのですが、人生をどこで区切りをつけるかということを昔の人は今生きている人よりも熟知していたのではないかなと思います。
先日、池袋の自動車事故を起こした上級国民と言われている方の裁判がありましたが、自分が起こした事故によって多くの人が被害に遭ったにもかかわらず、無罪を主張していることに対して私は人の価値をかなり貶めたなと感じました。
別のニュースで、競輪の払い戻し金額20万円の所を200万円渡してしまったと騒動となっていて、二度と返ってこないと言われていたにもかかわらず、静岡の警察署に180万円を戻したとのことで、返金した方の株がものすごく上がっていました。
それぞれにそれぞれの事情があっての行動だと思いますが、前者に至っては歳を重ねて自分を貶めるようなことはしたくないなと心から思いました。
人としての価値を貶めるようなことだけは自分のプライドとして許されないなと思って生きていきたいですし、後者のように自分に正直に生きていきたいと思います。
生きていく中で、命の大切さは十分理解していますが、一方でだらだら生きていくことに対しては私は否定しています。
生まれてきたからには1分1秒を惜しんで輝き続けたいと思うのが私のモットーで、特に有名になりたいとか社会貢献したいなどといったことには興味がなく、ただただ後悔しない人生を送りたいだけなんですよね。
出来る限り生きつづけたい一方で、自分を貶めてまで生きつづけたいとも思いません。
戦国時代の武将たちや神風特攻隊の方たちは、自分の家族や日本という国家のために命を投げうったわけですけど、そこまでの覚悟を持って行動できるかどうかってものすごく大事だなと思います。
もちろん最初から死にたいわけではなかったでしょうし、無理やり戦わされた方々もいると思います。
それでも覚悟を決めたことが本当にすごいなと思っていて、人生の中で覚悟を決める瞬間を持つこともまた大事なのかもしれないと思います。
寿命が長くなった分、自分がやりたいことや輝ける瞬間のチャンスが昔の人よりも多くなっているとは思いますが、それでも昔の人よりも人生輝けたかどうかと言われたら、どうだろうって思いますね。
安土桃山時代の日本の人口が約1200万人と言われていて、今の人口の10分の1ほどしかいなかったことから、人の生き死にに関してももっと寂しいものであったのではないかなと思います。
今のように人がどこに行ってもたくさんいる様な状況ではなかったでしょうし、今日1日ご飯が食べられるかどうかでも悩んでいたかもしれません。
今よりももっと生きることへの執着が強かったかもしれませんし、人間としての価値ももっと低いものだったかもしれません。
だからこそではありますが、そんな時代を経て豊かな時代に生きているからこそ人間の価値を高めながら、当時の人たち以上に輝いて生きていくことが大事なんじゃないかなって思うんですよ。
別にその人たちのために頑張るわけではないですけど、ただただ豊かな生活を過ごせるのにだらだら生きるのはもったいないなって感じてしまいます。
一度きりの人生をどれだけ輝かせられるかなんじゃないですかね。
守りに入らず、攻めの人生を過ごしたいです。