ものすごく興味深い記事がありました。
秀吉の政策で批判されることも多く行われてきましたが、その中の一つであるバテレン追放令。
結構残酷なことをしていたことで有名なんですけど、実は日本が植民地化される恐れがあって、それを未然に防ぐためだったというのがこの記事の内容なんです。
今回は秀吉が取った行動と現代の政治を比較しつつ、おかしいものはおかしいと言えて行動できるようになれるようなことを書いてみたいと思います。
信長がキリシタンを受け入れたのは、信長包囲網で苦戦を強いられた本願寺に対抗するためでした。
後継者となった秀吉もキリシタンを容認していましたが、記事にも書いてあるので割愛しますがキリシタンに対する脅威を感じたからなんですね。
その中でも一番おかしいと思ったのが日本人が奴隷として連行されていたことに関してです。
当時の西洋人は奴隷にするという習慣があって、日本人は有色人種であったことから「ん?どこが間違っているの?」となっていたわけですね。
秀吉はその後に及ぼす影響を察知してキリシタンを追放していくことになります。
実際に当時のスペインとポルトガルは世界を二分にして征服しようとしていましたから、秀吉の先見性には改めて感心せざるを得ないわけです。
と同時に、秀吉の人生の後半は酷いと思われていることが多い中、先を見据えた形で政治を行っていたことが今になって正当性があったと思われるような記事が出てきていることを考えると、どんなに自分が正しいと思って取り組んだ政策に対しても批判された形で伝わってしまう可能性がいくらでもあるということを意味していると思います。
この記事から政治家の人たちに言いたいことですが、本当に先見性を持った政策ができているのかということです。
コロナ禍でまずはコロナを抑えることが最優先なはずなのに、国民にばかり我慢を強いて自分たちは高級料亭で酒を飲み、オリンピック開催において未だに苦しんでいる日本人の感染者数を止めようとしないことにどんな先見性があるのかということですね。
日本人の犠牲を強いた上でのオリンピック開催をする今の政治家たちは、400年以上前の秀吉の足元にも及びません。
自分の名前が汚れてでも先見性をもって植民地化を防いだ、これが政治ですよ。
逆に政治家でもない私たちが秀吉からこの行動で学べることは、人からどう思われようとも自分が正しいと思えることであればまっすぐに行動するということですね。
オリンピック開催が正しいと思って行動する人に対してですが、もちろんそこに人の命が助かるくらいの大義名分があるのかどうかということです。
それこそオリンピックを中止にする事で日本の経済破綻が決定的であり、多くの日本人がコロナで苦しむ以上にお金の面で苦しむことになるというのであれば少しは納得できます。
ただ、緊急時に対してでもそれだけのお金を要求してくるIOCの愚かさに対して文句の一つも言えないのかと悲しくなりますよ、今の委員会の人たちに。
まあそれはともかくとして、どれだけ正しい行動と思っても捉える側が変な目で見ればそれまでですし、誰かが文句を言えばそれまでなんです。
ですから、人の目を気にしていても文句を言うやつは言いますし、周りが誰一人味方にならない可能性だってあります。
秀吉なんて400年近くもの間キリシタンに酷いことをした権力者として半分誤解を持たれていた可哀想な人ですよね。
そうやって誤解を招くことも人と人の関係であれば十分起きていますが、自分のことを本当に分かってくれる人もいるんで、めげずに信念をもって行動したらいいと思うわけです。
どうやって生きていても文句を言うやつはいるわけですから、それだったら自分の信念に対してまっすぐ生きていくことが大事なんだということだと思います。
周りの空気に流されず、自分の信念に真っすぐに進むことって大事です。