議論をしているときはどんどん自分の意見をぶつけていきながら真理の探究を行うものですが、相談されるときは必ずしも真理の探究を求めているものではありません。
正論を知りたいわけではなく、ただただ自分の話を聞いてもらって受け入れてもらいたいと願っている人は多いです。
人間社会において、数字という面に関しては絶対的なものが多いですが、それ以外の道徳であったり付き合い方に関しては絶対的なものはありません。
ですから、できる限り正論に近づけることはできても正論にたどり着くことはできないことから、たとえ自分の価値観や考え方に合わないと思っても相手が話すことが正しい可能性は1%は残っているかもしれません。
だからこそ相手の話をよく聞くという行為が大事になってくると私は考えています。
これが正しい、あれは悪だ、と決めつけることもよくあることです。
しかし、それをしてしまうと自分の価値観や考え方に対して変えることができなくなってしまい、身軽な動きができなくなってしまいます。
数値に関しては誤魔化すことのできない絶対的な存在であるために、これを変えることは不可能に近いわけですが、道徳や法律など人間が勝手に決めたものに関しては絶対的なものはありません。
このことを前提に考えれば、たとえ自分の価値観や考え方が大きく違っていたとしても話をよく聞いて相手の言っていることの正しさを少しでも受け入れることが良いのではないかということになります。
自分の価値観や考え方はあくまで自分の生きてきた空間で身に付けたものにすぎず、井の中の蛙であることに気づいていないかもしれません。
話を聞くことで柔軟に動くことができるようになります。
ただ、自分の基軸となる部分はそのままブレずにいながらも、相手の話を聞いて受け入れられるものは受け入れていけると、自分の価値観や考え方をどんどん膨らませていくことができます。
逆に話を聞かないで相手の言っていることを受け入れないでいると、自分の価値観や考え方はその時代に取り残されることになりかねません。
できれば日本にとどまることなく、世界各国の人たちと話をして相手の言うことを少しずつ受け入れることができるようになればさらに自分の価値観や考え方を膨らませることができます。
話を聞くことは自分というからをドンドン破いて動きやすい自分を生み出せることができる素晴らしい行動であることが分かります。
自分が話さなくてよいので話を聞く行為は極めて楽です。