桜満開の季節となりました。
桜を見るたびに、昔仕えていた上司から「あと桜を何回見れるかな」と言われた言葉を思い出します。
その上司は毎年同じセリフを言っていたんです。
私も桜を見るたびにあと何回見ることができるかなと考えるようになりました。
この言葉と同時に平家物語に出てくる『諸行無常』も思い出します。
世の中の流れは常に変化をしていくものであるという言葉に対して、桜は毎年変わらず同じく綺麗な姿に安心を求めているのかもしれません。
1日の日は太陽を表し、1月の月はお月様を表しています。
では1年の年は何を表しているのだろうと思って調べたんですけど、年の字には「禾」、のぎへんで用いられる禾から作られているそうです。
禾は「穂、稲」で用いられているように穀物を表す文字であり、年は穀物が育てられて実までの期間を表すところから1年を指す言葉となっているようです。
漢字って面白いなと思いながらも、月日の流れ、1年の早さを歳を重ねるごとに感じています。
毎年綺麗に咲く桜を見るたびに、1年の早さを感じながら自分の死を見つめています。
桜を見ることで私は自分の寿命を意識するわけです。
1年の早さを実感するとともに、今生きている時間の尊さ、生きている有難さを痛感するのです。
元上司もそれを毎年感じていたのかもしれないなと思うんですけど、今できることってホントに限られていて、この年齢でできることしかできないですから、今を大事に生きようと再確認しています。
歳を重ねるごとにできないことが一つ一つ増えていくわけで、例えばご飯を食べることでさえいずれはできなくなるのです。
今当たり前のようにできていることができなくなることを考えるだけで、今どれだけ幸せな状況にいるかを実感します。
桜はそれを毎年確認させてくれる存在です。
最初は桜を見ると生きている実感を再確認していたのですが、最近はあらゆる植物をじっくり見るだけでもそれを感じるようになりました。
春から夏にかけてになるとジッと見つめてしまうのはアリですね。
アリが一生懸命食べ物を運ぶ姿を見ると癒されるんです。
人間関係の仕事をしているとどうしてもそればかりに気を取られてしまうんですけど、動植物を見ることで自分が生物であることを思い出せるんです。
人間社会の常識にとらわれて生きていることに疲れを感じるときに、動植物をボーっと眺めているだけで本来は自分も同じ生物なんだと思い出せることで生きている実感と生きている有難さを思い出せます。
桜をきっかけに人生を見つめなおせるかもしれませんよ。
もう桜の花が散り始めました。来年も桜を見れるかな?